2014年、「読売新聞」の「基礎からわかる最新生殖医療」という記事で、子宮移植が論じられていました。
しかし、
子宮移植で不妊の問題が解決するのでしょうか?
そもそも、
代理出産は、子宮がない人だけのためのものではなく、すべての不妊治療をしている人の最後の望みです。生殖医療法案もそうですが、医師たちが勝手に、子宮がある不妊患者は諦めろと切り捨てているのです。
しかも、子宮移植は今すぐにできるものではないのです。実験的に成功しているかといって、それに望みを託せというのは、無責任に過ぎます。何年後にできるかという保障もなく、しかも、自分に合うドナーが現れなければ、それで終わりです。
以下、記事の中で、おかしな議論を指摘しましょう。青字部分が引用箇所です。
基礎からわかる最新生殖医療(4)子宮移植 可能か
Q 代理出産 現状は
子宮が生まれつきなかったり、がん治療などで失ったりした女性が、血がつながった我が子を得る方法は従来、代理出産しかなかった。こうした女性の新たな選択肢として子宮移植の可能性が検討されている。
前述のとおり、子宮があっても妊娠できない人が多いのです。原因もわからない不妊が一番多いのです。そういう人を切り捨てる議論だという自覚が、記者さんたちには見られません。
子宮移植では、夫婦の受精卵をあらかじめ凍結保存しておき、提供者から移植した子宮にその受精卵を戻し、妊娠、出産を目指す。
国内ではサルでの成功例のみだが、海外では2000年から11人の女性に行われた。そのうち7例の移植に成功しているスウェーデンで昨年10月、子宮移植による世界初の出産が発表された。その後さらに2人が出産し、生殖医療として一気に現実味を帯びてきた。
一気にでしょうか? 実験的に行う場合には、お膳立てが揃っています。しかし、ドナーはどうやって集めるのか、ドナーは集まるのかという問題は残ります。待っていてできるものではないのです。そんなことに期待を持たせて、ダメなら諦めろということでしょうか?
しかし、課題は多い。他人の子宮への拒絶反応を抑えるため、妊娠中も免疫抑制剤を服用する必要があり、子どもへの影響を慎重に検討する必要がある。生体間移植の場合、子宮を提供する側の身体的負担は非常に大きい。
生体移植? そんなことがありえるのでしょうか? それと代理出産と、どちらが負担が大きいのでしょうか? 子宮の生体移植など、まさに倫理的に許されるものではないでしょう。その一方で代理出産を批判するなど、片腹痛い話です。
子宮の売買につながる恐れも指摘される。
生体移植なら当然そうでしょう。誰が、好き好んで自分の子宮を無料で提供するというのでしょうか? 恐れではなく、生体移植をするなら、金銭の授受がないと思うほうがアホです。
それでも代理出産に比べれば、出産によるリスクを本人が引き受け、法的にも親子と認められる子宮移植の方が、倫理的に問題は少ないという声もある。
その声は、アホの声ですね。リスクを本人が引き受けなければいけないのなら、スタントマンは皆失業手当を申請に行ったほうがいいでしょう。タクシーはリスクを本人が引き受けないので、倫理的に問題がありますね。
法的に親子と認められるかどうか? 何をふざけたことを言っているのでしょうか。民法が実態に合っていないのならば、民法を変えればいいだけです。法律は、時代に応じて変化させるべきものです。そもそも、母親の遺伝子を受け継ぐ子供を、代理出産だからといって親子関係を認めないほうがおかしい訳です。そして、子宮移植でも、卵子提供を受けたら母親の遺伝子は受け継がないのに、自動的に親子関係が認められるということも、それと対照的に見ればおかしいのです(私たちは、後者に反対しているのではありません。矛盾を指摘しているのです)。
昨年8月、慶応大や京大などのプロジェクトチームが、実施に向けた国内初の倫理指針をまとめ、営利目的の斡旋は行わないなどとした。今後、関連学会の意見を踏まえて最終的な指針をまとめる方針だ。
営利ではないとすれば、現実的にはドナーしかないでしょう。それでは、待てば海路の日和がくることなど期待してはいけないのです。
そして、仮に、すべての子宮がない人が移植を受けられる日が来たとしても、それよりもはるかに人数の多い、子宮のある不妊患者を救うために、代理出産は必要とされるのです。
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医療部の利根川昌紀、編集委員の鈴木あづさが担当しました。
2015年2月15日 読売新聞