【重要】代理出産を事実上禁止しようとしている自民党PTに、抗議のメールを送りましょう!
自民党のプロジェクトチームが国会に提出しようとしている生殖補助医療法案は、条件付き代理出産を認めるとは言いながら、その条件というのは、子宮がないこと(子宮があって不妊という人が殆どです)、金銭の授受を認めないこと(ボランティアで代理母になる人を見つけることは不可能に近いです)で、事実上代理出産を禁止するものです。この法律は不妊に悩む人々の最後の望みを断ち切る天下の悪法になります。メディアでは、いわゆる「子供の出自を知る権利」ばかりが報じられていますが、それに誤摩化されてはいけません。現在のような内容での新法案を撤回するように、皆さんの声を結集しましょう。不妊に悩む人々の気持ちを無視した生殖補助医療法など、全く意味がないものです。手遅れになる前に、当事者である皆さん自身が意見表明をしてください。
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※インドの情報についてのご注意

▶インド政府は2015年10月28日、外国人がインド人女性を代理母とした代理出産を利用することを禁じる方針を明らかにしました。これで「代理出産のメッカ」であったインドでの外国人向け代理出産は幕を閉じることになります。
Baby for All ではこれまで、合法的に代理出産が行える国として、インドの代理出産もこのブログでご紹介してきました。そのため、過去記事の中に、一部インドの過去の情報が残っていることがあります。ご注意ください。
また、会員専用ページの内容も、インドの情報が記載されていますので併せてご注意ください。

2018年9月20日木曜日

代理出産体験記〜インドは我が子の故郷(3)

 ヴァドーダラ空港に私たちを迎えに来ているはずのタクシーは来ていなかった。一瞬、最初からこれでは先が思いやられるなと感じたが、「あせるな、落ち着け。ここは日本じゃない。インドなんだ」と、自分に言い聞かせた。
 空港には公衆電話さえなく、ただ遅れているだけなのか、忘れているのかさえ確認できなかった。白タクに乗るかどうするかと考え始めていたら、同じ飛行機に乗っていた親切なインド人ビジネスマンが携帯電話を貸してくれた。
 タクシー運転手は私たちのことを忘れていたのだった。
 堪えられないほどではないが、朝にしては蒸し暑い日差しの中、何も無い田舎の空港の外で1時間以上待って、漸くタクシーはやって来た。その間私たちは、白タクの運転手だけでなく、好奇心旺盛な人々に殆ど取り囲まれながら、草生した夏の光景を、なぜか懐かしく感じながらぼんやり眺めていたのだった。
 インドの町で牛が闊歩しているのをテレビで見たことはあったが、それでも実際に、舗装されていない道の端を、牛が何頭もたむろし、地元の人がラクダに荷車をひかせる光景を見た時には、言葉にならない衝撃を受けた。こんな国に、こんな町に、高度な不妊治療を求めて、あるいは代理出産を求めて、世界中から人がやって来るというのは、実際にこの国に着いても、まだちょっと信じられなかった。
 病院に着いても、その気配はなかった。
 そこは、子供の頃に祖母に連れて行かれた田舎の診療所のたたずまいだった。清潔ではあるが質素で、下世話なことだが、何百万円単位でお金が動く場所には思えなかった。
 患者が私たちに好奇の視線を向ける。しかしすぐに私たちは、一般の待合室ではなく、パテル医師のオフィスに招き入れられた。
 その部屋にはエアコンがあり、パソコンがあった。一般の待合室と扉一枚隔てたこの部屋は、ある意味で別世界だった。私たち以外にも外国人の夫婦が出入りした。白人、黒人、アメリカに住むというインド人。もちろん、日本人は私たちだけだった。
 ナイナ・パテル医師のご主人のヒーテッシ・パテル医師が歓迎してくれた。コメディ映画に出て来る、残酷ではない、愛すべき悪役のような風貌だ。以下、ややこしくなるので、ナイナ・パテル医師のことをパテル医師と書くことにする。ご主人の方はヒーテッシ医師と書く。
 さて、間もなくパテル医師が現れた。白衣ではなく、テレビで見たときと同じように、鮮やかな色の民族衣装に身をまとっていた。パテル医師は笑顔を絶やすこと無く私たちに優しく語りかけた。そして家内の問診が始まったのだった。
(つづく)