治安がよい理由のひとつは、宗教的な対立がないからであることは間違いない。町の商店街の中で、イスラムの衣装を着た人が、他のインド人(ヒンドゥー教徒だろう)と一緒に、民族衣装の店を経営しているのを見たのは象徴的だった。またアーナンがあるグジャラート州は、菜食、禁酒の人が多いらしい。酒を呑む人が少なければ、トラブルも少ないだろう。
菜食の方は、肉好きの私としては非常に心配だったが、肉を出すレストランもあったし、バターやチーズ、卵等は普通に使われるので、肉抜きのカレーというのも、それほど悪いものではなかった。
祭りがなければ退屈な町だろう。私たちは行かなかったが、アムール乳業の工場見学ぐらいしか楽しみはない。もちろん、近隣の町へ出かければ何かあったのかも知れないが、私たちは余り外へ出かける気にはならなかった。子供のことに気持ちを集中させたかったからだ。
外出と言えば、代理母の合宿施設は見せてもらった。こちらも、田舎の病院の入院病棟というか、サナトリウムのような感じだった。彼女たちの部屋には無造作にベッドが置かれているだけだが、娯楽室や、職業訓練のための部屋もある。そこで暮らす代理母を見た印象は、来る前に想像していた、家族と離れての寂しい生活というイメージではなく、暢気に日々を送っているという感じだった。実際、家に帰らせると、男尊女卑のインドでは、たとえ妊娠中であっても、夫や家族の世話を一手に引き受けなければならなくなるというから、のんびりしているように見えるのは当然だろう。
私たちがインドに着いてから約2週間後、パテル医師のクリニック、つまり、田舎の診療所みたいな建物の中にある、超近代的な一室で、私たちの受精卵が作られた。
パテル医師は受精卵の写真を見せてくれた。とても元気だということだが、信じる以外に無いだろう。私たちは最後の望みとしてここに来たのだから。
そして受精卵が4つ、代理母に移植された。その直後に、クリニックのベッドに横たわる代理母に会った。
手を取り合う家内と代理母。契約書にサインした時ではなく、その瞬間に、母の仕事が委任されたのだった。
(つづく)